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Posted by - 2017.07.28,Fri
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Posted by エスシー - 2015.03.09,Mon
私は基本的に無宗教である。


科学こそ一番だと思っているし、天上の神の存在を信じてなどいない。
雲は水滴だ。その上は宇宙だ。


また、無宗教でない人が見ていたら不快に思うかもしれないが、
心の奥底では、心の弱い人こそ宗教に縋るのだと思っている部分すらある。


神なんて非科学的だと言うと、こう返される場合がある。

「目に見えないものが存在しないとは限らない」


俺は決まってこう返す。

「科学は日々進歩している、
「見えないもの」が見える日はいずれ来る。」


そして、この考えを逆に考えてみれば、
昔は「見えないもの」が多すぎた。(今も未来から見れば多すぎるのかもしれないが)
それらを神の存在によって辻褄を合わせていたのではないか、と勝手に推測している。

例えば、人間は神が自らに似せて作ったとか、雷が神の指だとか、そういうこと。
進化論は完全に証明されたわけじゃないからまだグレーかもしれないけど、
雷の原理なんかは既に科学によって解明されているわけだし、
いずれは宇宙や生命の誕生なんかも完全に解明されていくだろうと信じている。



ただ、全否定しているわけでもない。

神社に行けばお参りをするし、葬式も作法に準ずる。
それは文化であり、風習であり、また、道徳であるからだ。

加えて言えば、そうした非科学的なものの存在が全くないというのも窮屈なものである。

色んな理論があって、色んな解法を組み立てられるから数学が面白いように、
そうした不明瞭な部分は日常に少しばかりの刺激を与えてくれるのではないだろうか。


また、神道なんかは文化としてはとても興味深い。

雷が落ちた田んぼには神が宿るため、そこが聖域になったりとか、狐を奉っていたりとか、
注連縄に紙垂、そして何よりもあの鳥居の形。デザインがクールすぎる!


キリスト教にしたって、
ローマ式建築、ゴシック式建築、バロック式建築なんかもとても美しい。


唯一寺にはあんまり興味ないんだけどな。
(小さい頃から連れられて色々見てるから真新しさがないだけかもしれないが)
それでも高校は、偏差値の表から学校名を見て適当に決めた滑り止め校に入ってて、
そこがまさかの仏教系で、般若心経くらいなら未だにけっこう覚えてたりもするという…


本題に流れを戻すと、
宗教とは文明や科学と対立、相反するものだと思っていて、
俺なんかは現代人だから、思考の基板が科学的で論理的であって、
だから宗教とか非科学的なものっていうのは科学的でないし論理的でもないから、
話が通じないな…と感じてしまう。

要するに思考の基板から食い違ってるわけだからな、通じないのも無理はない。

Aは箱の中にリンゴがないと言って、Bは箱の中にリンゴがあると言う。
箱を開ける手段がなければ、話は食い違ったままだ。


「悪いことをすれば神サマが必ず見てる」とか「努力は必ず報われる」とか「苦労しないと成功しない」とかはよく耳にする非科学的センテンスだね。
こういうことを平然と口にするようなオッサンはアホだなぁと思って見てる(


ついディスっちまった…
とにかく、
思考の基板から食い違ってるというのは、
極端な話、言語が通じないのと同じようなものだ。

先日、そういう話が通じない場面に直面した時に、俺は不思議と恐怖を覚えた。
当然その人がマジキチだから攻撃されるからとかそういうのじゃなくて、
宗教が心に浸透しきっていて、話が通じないというのが怖かった。
そういう根本的な思考が食い違うということが如何に不気味なことか…

その人にとって神は存在していて、
それが思考の基板に組み込まれているため、論理で説得することなどできないのだ。
それを無理に引き剥がそうとすれば、
その人のこれまでの人生や考えを否定することになり、会話は酷く荒れたものになってしまう。


宗教の話はもうしたくないなと思った。

勿論自分から誰かに宗教の話をしたことなんてないんだけどね。この投稿は例外だ。


厄介なのは、宗教を信じる人はカルトでなくとも、周りに勧めてくることがあるということだ。


これこそ偏見だと突っ込まれるかもしれないが、
世界中で起こっている戦争も宗教によるものが少なくないし、
カルト宗教は善良な一般市民に害を及ぼす事件だって起こす。
最近話題の彼らだって宗教が発端だ。

宗教にいいイメージなんて持てるわけないよ。

全てが悪いわけじゃないというのも勿論わかっているけど、
やっぱり警戒はしてしまう。一線は引いてしまう。

心全てを宗教に委ねてしまえば、客観的な思考ができない。自分の過ちに気付けない。

(俺が当たり前だと思っていた)科学的で論理的な思考が通じないというのは怖い。



ただ、先日こういう話をすると、

「科学万能」というのも宗教もそんなに変わらないと言われることがあった。


科学が宗教に近いと言われれば実態は確かにそうかもしれない。
ただ、実際に見る、触れることができるものと、
そうでないものってやっぱり大きな差がある。


今常識だと思われていることが間違いである可能性はもちろんある。
それが覆されて、本当はこうでしたってことになっても、
それは単純に知識の引き出しの中身が書き換わるだけで、
だから科学は万能ではないということにはならないんじゃないか?

あえて万能という言葉を使ったけど、
俺は別に他を遮断して科学だけを見ているということではない。


例えば宗教にはその宗教によって「人間はこう誕生して~」みたいなのがあるとして、
それには納得させうる論理による証明が一切ないので、
即ち俺にとって論理的ではないということになるわけだ。


信じることによるメリットとデメリットを論理的に考えたという「パスカルの賭け」

信じなかった場合、生活は自由だが、
神が存在した場合に恩恵を受けることができない。

信じた場合、生活は少し不自由になるかもしれないが、
神が存在した場合多大な恩恵を受けることができる。

パスカルは、神が存在しなかった場合でも、
信じることによって「生きることの意味が増す」として宗教の道を選ぶのだが、
こうやって自分で考えて宗教を選んで、
なおかつ広い視野を持ち続けているなら何も言うことはない。
(いや、ここまで論理的に考えていなくてもいいのだけど)

でもそれって、俺にとってみれば、
自分の心構えで補えることなのだ。
こうなりたい、こうでありたい、って常に自分で考えていれば、
(もし神が存在していて見ていたとしても)恥じない自分を生き続けているんだし。


Science without religion is lame,
religion without science is blind.

アインシュタインは「宗教なき科学」「科学なき宗教」を批判した。

科学に欠けている部分は宗教にあり、宗教に欠けている部分は科学にあるといういう意味だと思う。
そしてここで言う宗教とは、人のあり方や生き方の道しるべ、という意味だと思う。

こんな天才の言葉を噛み砕いてしまっていいのかわからないが、
要するに、一辺倒になるのではなく広い視野を持ってねってことでしょ。
原爆作りに協力したが、それが大量の人の命を奪ったことをニュースで知って、その後ずっと後悔することになった。
そしてこの言葉を残したという。
人として正しく導いてくれる宗教を疎かにするなというメッセージだ。


宗教は怖い。
ただ、行き過ぎた科学も同じものを内包し得るのだ。
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